
人は見たいものしか見ない。古代ローマのカエサルの有名な言葉であり、現代では確証バイアスを端的に象徴する言葉として用いられます。示唆はシンプルに思われますが、本日は少し掘り下げて考えてみましょう。
画像を見てください。あなた(青いシャツを着た男性)は、ネコさんが鏡を覗き込んで、そこにライオンを見出しているシーンに遭遇しました。あなたはきっと思い出すでしょう。「人は見たいものしか見ない」 そしてあなたは思います。 「きっとこの猫は強くなりたいのだろう」、「王様になりたいのかな」、「いやいや、あなたはライオンにはなれないから」・・・そんな言葉があなたの頭には浮かぶかもしれませんね。もし普段からあなたがこのネコを嫌っているとしたら、「君には無理」、「勘違いするなよ」・・・そんな言葉も浮かぶのでしょう。
ここであなたは気づきます。「おや、このネコさん眼鏡をかけている」、「もしかしてこの眼鏡に特殊な機能があるのだろうか」、「この眼鏡をかけているから自分が見たい姿が見えるのかな」
ここまで思考が辿り着いた方は、眼鏡はフィルターであり、バイアスを象徴しているということを理解されているでしょう。そして、フィルターを通さずに物事を捉えることの大切さを思い出すでしょう。でもその先は?
その先に思考を伸ばしてみましょう。ネコさんは眼鏡をかけている。それが現実をゆがめ、ネコにライオンを見せている。眼鏡には注意しなければいけない。だとしたら・・・
だとしたら、私がかけている眼鏡も、現実をゆがめて、私に物事を見せているのかもしれない。いったい私はどんな眼鏡をかけているのだろう。私はどんなフィルターを通して世界を見ているのだろう。
もし、仮に、私の眼鏡だけが特殊だとしたら? 私の特殊な眼鏡が私にライオンを見せているだけかもしれない。ネコさんは鏡の中に、ネコさん自身を見ているのかもしれない。バイアスで現実が見えていないのは私だけかもしれない?
CQを高めていくとは、色々な眼鏡で世の中を捉えることです。眼鏡をつけかえてみたら、違う現実が見えてくるかもしれない。今の眼鏡では、なにかに気づいていないかもしれない。この人はこういう眼鏡をかけているのかもしれない。こんな風に、相手の眼鏡、自分の眼鏡を意識することで、多角的に現実を理解しようとする姿勢、刹那的な判断で否定をしない姿勢、それがCQのベースになります。次回は眼鏡を使い分けるレベルについて書いてみようと思います。