BLOG:「阿吽の呼吸」が通用しない時。企業文化における「私」と「私たち」の境界線

「彼に任せたのに、なぜチームに確認してから返事をするんだ」そう感じた経験はないでしょうか。
あるいは逆に、「なぜ一人で決めてしまうのか、チームで話し合うべきでしょう」と感じた経験は?
どちらの感覚も、実は同じ摩擦の、別々の側から見た景色です。

「私たち」から物事を考えるということ

ホフステードの6次元モデルが示す指標の一つに、「集団主義 vs 個人主義」があります。日本のスコアは中間付近に位置しますが、実際のビジネス現場では集団主義的な行動様式が色濃く残っています。

集団主義の文化では、子どもは幼いころから「私たちはどうするか」という視点で物事を考えることを学びます。意思決定においても、チームの調和や内輪への配慮が、個人の判断より先に来る。それは怠慢でも優柔不断でもなく、「誠実であること」の定義そのものです。

一方、個人主義的な文化では、「私がこれを引き受けます」と明言することが誠実さの証であり、むしろチームに確認してから返事をすることが「自律していない」と映ることがあります。

摩擦が生まれる瞬間

この違いが最も鮮明に現れるのが、責任の所在をめぐるやりとりです。

グローバルな現場で「誰が意思決定者ですか」と問われた時、日本側が「チームで検討してから」と答えると、相手には「決める気がない」と受け取られる。しかし日本側からすれば、一人で決めることこそ不誠実であり、チームを飛び越えることは礼を欠く行為にさえ映ります。

これは能力の差でも、誠意の差でもありません。「責任」という言葉が、そもそも異なる基盤で動いているのです。

「チームで検討しました」という言葉が誠実さを示す文化と、「私が責任を持ちます」という言葉が誠実さを示す文化。同じ職場にいながら、この二つが混在する時、最も危ないのは「相手が怠けている」あるいは「相手が強引だ」という単純な解釈になることです。

 

あなたのチームに「なぜ一人で決めてしまうのか」と感じる相手、あるいは「なぜいつまでも返事をしないのか」と感じる相手はいませんか。

その人の行動の背後には、あなたとは別の「誠実さ」が働いているかもしれません。それを知ることが、摩擦を対立ではなく、対話の入口に変える第一歩になります。

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